縁あって4月から館長に就きました。ごあいさつが遅くなりました。
いきなりの先制パンチを食らっています。相手は、ご存じ、世界を揺るがす新型コロナウイルスです。こやつのおかげで先の見えない休館を余儀なくされています。開催中の企画展「光秀の残映」は、2、3月のギャラリートークこそ好評でしたが、残りの計画は中止、または延期となりました。仕方ないとはいえ、残念なことです。
この美術館とのご縁は、30年ほど前、私が熊本日日新聞社文化部の記者として、ここでの展覧会などの取材に訪ねてからのことです。対応されるのはいつも、この美術館を開設した初代館長、島田真祐(しんすけ)さんでした。所蔵の企画展のことだけでなく、歴史、美術、文学、そして熊本の文化界のことまで、無知で不勉強な一記者を見下すことなく(内心は分かりませんが)いろんなことを教わりました。
一方、併設ギャラリーでは個展なども多く、おかげでたくさんの絵や人を知ることができました。宮崎静夫さん、板井栄雄さん、甲斐大策さん…鬼籍に入られた方々は今頃、別の世界で島田さんを交えて酒酌み交わし談論風発の日々でしょう。
古いものと新しいもの、対照的とも言える創造の世界が、広くもない同じ敷地の中に同居している、そんな不思議な空間を心地よく感じていました。
島田さんが2017年晩秋に亡くなり、その後任となった橋元俊樹さんは、島田さんと高校大学の同窓で、美術館開設のときからの〝伴走者〟でもありました。
そのあとが不肖私になります。器でないことは承知していますが、島田さんの熱い思いの埋まった土台の上に、さて何を積み上げることができるか、コロナ禍閉館中の靄の中で頭を巡らせています。ここに足を運べば、わくわくする作品や人に出合える、そんな場所になればと思っています。さて、そのためにはどうするか、が問題ですが。
昨年秋のラグビーワールドカップ日本大会。熊本での試合の応援にやって来たそれぞれの国のサポーターが、その合間にここにやって来ました。その人数の意外な多さは、宮本武蔵や五輪書が海外でもいかに受け入れられているかの証しでもありました。
島田さんは生前こうも言っていました。「この美術館は独自性をもったマイナーリーグである」。これからも熊本市の西の一隅から世界に向けて発信し続ける存在でありたいと思っています。
念じるはコロナ退散 新緑の木立ちの中を吹く風のあり
2020年(令和2年)4月 島田美術館館長 松下純一郎